| 穀倉地帯として有名な新潟平野はかつては蒲原平野とも呼ばれ、芦や蒲などが繁茂する湿地帯が広がり、潟湖や沼が無数に点在していたという。この新潟平野の北部に青田遺跡という縄文時代晩期の遺跡がある。この(淡水)湿地帯の微高地につくられた集落周辺には、大小の河川が網の目状に緩やかに流れ、人々は高床式の住居に生活していた。遺跡からは、焼かれたフナ、コイ、ウグイ、ニゴイ、サケ、タイなどが出土し、その中でも、推定体長10cm程度のフナを中心に、コイ科魚類が多く捕獲されていたと推定されている(西本,小林 2004)。稲作の伝播とともに湿地帯は徐々に水田へと姿を変え、江戸時代には大規模な干拓により広大な水田地帯が出現した。青田遺跡も、その周辺の河川や湿地帯も、発掘によってその姿を現すまで、水田下の地中深く埋もれていた。この水田という人工的な空間において、5000年を隔た現在も縄文時代と変わらない魚の姿を見ることができることに、私は驚きを感じる。大小の河川が網の目状に緩やかに流れ、あるいは潟湖や沼が点在していたという昔の水域は、幾度と無く繰り返されてきた水田開発等によってすっかり形態を変えてしまっているのに、と思うのである。この例に漏れず、淡水魚が生息する水域の中で、水田ほど長い年月をかけて人間の都合の良い姿に形を変えられ、人間の営みに合わせて流況が一年を通じて変化し、さらに水環境の維持に人間のかかわりを必要とする水域はあるまい。それでも、魚たちの中にはこの人工的な水域を生活史の中に取り込み人間と共生しているものがいる。本章では水田地域を利用する魚たちの目で見た水田地域の水環境を、水田立地や稲作にかかわる人間活動を交えながら紹介する。 |