平野部を流れる河川は,本来,広大な氾濫原を伴う.氾濫原は,河川の増水時に冠水するエリアであり,それによって特徴付けられた環境を持つ河川景観要素の一つである.氾濫原は,生物多様性にとって重要な場であることが知られている(Junk et al.1989;Tockner and Stanford 2002).特に,水生生物群集の現存量や多様性は,氾濫原に形成させた特性の異なる水域の存在に依存していることから,生息場の多様性が重要であると考えられている(Tockner et al.1998;Robinson et al.2002). 日本では,かつて,臨海沖積平野の低地部に広大な氾濫原が存在した.しかし,河川堤防の整備と後背湿地の開発により,現在,多くの河川では,氾濫原は連続堤に挟まれた狭い河道内(以降,河道内氾濫原と言う)に空間的に制限されている.また,河道からの土砂の持ち出し(砂利採取)やダム建設をはじめとした,これまでの様々な人為によって,河川における流送土砂量や流量のレジームが変化したため,河道内氾濫原における生態的機能の劣化が懸念されている(Rinaldi et al.2005;na-kamura et al.2006;Negishi et al.2012a).流送土砂量の欠乏は,澪筋の固定と河床低下を招く(Kondolf 1997).流路水面からの比高が拡大した氾濫原の冠水頻度は低下し(Rinaldi et al.2005;根岸ほか2008;Negishi et al.2012b),治水ダムによる洪水ピークカットがそれを助長する可能性もある(Kondolf 1997;takahashi et and Na-Kamura 2011).冠水頻度が低下すると,平水時に本河から孤立している“たまり”において,例えば,淡水性のイシガイ科二枚貝(Unionidae;以降,イシガイ類と言う)の生息が制限される(Negishi et al.2012a).濃尾平野を流れる木曽川では,絶滅・準絶滅危惧種に指定された魚種の多くが,氾濫原に依存した生活史を持つ魚種であるとの報告もある(永山ほか 2012). このような氾濫原の縮小や変質を背景として,近年,国内でも氾濫原の保全や再生の必要性が強く認識されるようになってきた.平野部を流下する大河川の多くは一級河川であり,国土交通省が管理する直轄区間に指定されている.この区間は,中小河川と比べて一般的に河道幅が広いことから,河道内に広い面積の氾濫原を確保できる可能性がある.それゆえ,氾濫原の保全や再生を通し,生物多様性を確保していく上で,直轄区間が果たす役割は大きいと考えられる. 直轄区間の中で,氾濫原の保全や再生を効率的に行うためには,第一に,河道内氾濫原の現状が適切に評価される必要がある.河道内氾濫原の評価に関連した数少ない研究として,Negishi et al.(2012b)が挙げられる.Negishi et al.(2012b)は,氾濫原環境を特徴づける冠水頻度に着目し,航空レーザー測量データから作成した地形デジタル標高モデル(地形DEM:digital elevation mod-el)と水位観測所の水位データから作成した水位DEMを用いて冠水頻度を評価し,現地で実測した冠水頻度との高い整合性を示すとともに,冠水頻度とイシガイ類の生息との密接な関係を明らかにした.イシガイ類は,氾濫原を含む低地河川生態系の指標生物として,その有効性が指摘されている(Aldridge et al.2007;Negichi et al.2013).それゆえ,Negishi et al.(2012b)は,冠水頻度に着目することで,河道内氾濫原の生態系(生息基盤となる物理環境も含む)を評価できる道筋を示したと言える. しかし,航空レーザー測量は空間解像度が詳細である分,データ処理量が膨大である.そのため,航空レーザー測量の使用は,広域にわたる地形把握を必要とする河道内氾濫原の評価に適しているとは言い難い.また,航空レーザー測量が,今後も継続的に実施されていくか現時点では不明であり,河道内の地形変化が生じた後の評価に対応できない可能性がある.加えて,Negishi et al.(2012b)では,冠水頻度の推定過程において,標高0.1m刻みで作成したすべての水位DEMを地形DEMと照合しなければならず,作業量が多い.以上のことから,冠水頻度を用いた河道内氾濫原環境の評価手法を,将来的にも通用するものとするためには,航空レーザー測量に依らない地形データの使用と,冠水頻度の推定過程の簡便化が必要である. 本研究では,河川整備計画や自然再生計画の立案に寄与することを目的に,直轄区間において一般に取得可能なデータセットを用いて,イシガイ類を指標生物とした河道内氾濫原環境の簡易な評価手法の開発を試みた.最終目的は,全国109の一般水系すべてに通用する評価手法を開発することであるが,ここでは,最初の段階として,山本(2010)が定義するところのセグメント2に属する自然堤防帯を流れる沖積低地河川を対象とした.また,開発した評価手法に基づく結果の精度を検証するとともに,評価結果の河川管理への活用例を示した.さらに,本評価手法の適用範囲やデータ処理法に関する今後の課題を述べた.なお,航空レーザー測量に代わる地形データとして,定期横断測量データを使用した.定期横断測量は,航空レーザー測量では取得できない水面下の地形データも取得可能であるため,今後も河川管理者による継続的なデータ取得が期待される. |